ドクタードルフィンストーリー

超次元・超時空間医学ができるまで

私ドクタードルフィンのミッションは地球社会と地球人を進化・成長させること

私は幼少の頃から、はるかな過去生、未来生、パラレル生にもとづいて、もっと自由な世界があることを直感的に知っていましたので、さまざまな制限があるこの地球に、とても窮屈さ、生きづらさを感じていました。

私は医師になるべきだと気づいたのは小学校の低学年の時でした。

なぜなら地球人には「肉体(身体)」があり、この身体ゆえに窮屈さを強いられている。だったら身体について、徹底的に熟知してやろう。そして人々を窮屈さから解放しよう、と考えたのです。

私が本当に成し遂げたいことは、「魂の修正(解放と再誕)」です。魂は形を持たないので本来エネルギーが高いのです。しかし人間の身体は形を持っているがためにエネルギーは低い。この、低いものを診ることなしに、魂を扱うことはできない、とわかっていたのです。

私の出生時は、いわゆる仮死の状態でした。両親や祖父母は、この子は生きないだろうと諦めたそうです。でも奇跡的に生還しました。

どうせすぐに死んでしまうだろうからと、「正」という最も簡単な名前をつけられました。しかし、「松久 正」は「松果体を永久の力で正す」というまさに天からいただいた名前だったのです。

この時、私は大宇宙の大いなる存在(自己のゼロポイント)と約束をしたのだと思っています。人間の魂を救う、地球社会を進化・成長させるというミッションとともに、命をいただいた、と信じています。

そういった体験による超潜在的な意識を、小学校の低学年の時に感じとったのです。

そして故郷の三重県を出て、慶應義塾大学医学部に入学しました。

ドクタードルフィン松久正 超次元・超時空間松果体覚醒医学ができるまで

勤務医時代の経験から現代地球医学の限界を知り、渡米

当初は、現代地球医学の医師としての最高峰を目指しました。卒業後、家族の事情があり三重に戻った私は、整形外科医として大学病院などで10年の間、手術、外来、遺伝子の研究などに没頭しました。

そして次第に、現代医学には限界があり、これでは地球社会と地球人を進化させるミッションからは遠いと判断したのです。

しかし、そのキャリアの中で、背骨の手術を数多く経験し、人間の生きる力、言い換えれば「叡智エネルギー」の通り道は、脳から背骨の中を通る脊髄しかない、と確信したのです。

この「背骨の中を通る目に見えない力」、それが何かわからないけれども、とことん解明してやろう。そんな気持ちで、周囲の反対を押し切り、渡米を決意しました。

日本で医師としての実績がありながら、学生としてカリフォルニアのカイロプラクティック大学で、英語で一から自然医学を勉強し直しました。2年ほど経つと、そこにも自分の求めるものはないことに気づきました。

背骨の中の神経の流れを良くするのがカイロプラクティック。日本と違い、アメリカでのドクター資格、大学で学ぶ自然医学です。ちなみに日本でカイロプラクティックと呼ばれているものの大部分は、本来のカイロプラクティックではありません。

アイオワ州ダベンポートにカイロプラクティック大学の元祖であるパーマーカイロプラクティック大学があり、そこに転校してさらなる2年半で卒業し、米国公認のカイロプラクティックドクターの免許を得ました。


パーマーカイロプラクティック大学卒業証書

私の新医学の基礎が生み出された運命のセドナ

しかし資格を持っただけでは意味がありません。その後はアリゾナ州フェニックスの尊敬するドクターのもと、4年間、米国の患者を診療し、実力を磨きました。

アメリカで臨床を行う中で、非常に悩みました。現代医学とカイロプラクティックの間をつなぐものが見えてこない。両者は分離したままです。

この苦悩の中で、訪れたセドナが私の運命の分岐点となったのです。

レッドロックの強烈なエネルギー。行くだけで私の魂が躍るのがわかります。そこには強力な地球の叡智(磁気エネルギー)であるボルテックスがあるので宇宙の叡智とすぐに繋がることができる。この世界きってのパワースポットには世界中からヒーラーやチャネラーといった目に見えないスピリチュアルなエネルギーを扱う人々が集まっています。そういった人たちとの交流の中で、私は次第に目覚めていきました。

さらに量子力学を学んだことで、これらの全てが繋がり、目に見えない、より繊細なエネルギーを融合させた、独自の超次元・超時空間松果体覚醒医学「∞ IGAKU」の基礎が生み出されました。

ドクタードルフィン 松久正 運命のセドナ